S状結腸がん手術(ステージUA)から腸閉塞までの道のり

S状結腸がん手術(ステージUA)から腸閉塞までの道のり

◆2014年9月29日
  朝6:00頃から腹痛で寒気がし、ブルブル震えながら治まるのを待っていたが治まらず
  人生初の救急車で、N病院に運ばれた。
  院長先生の診断を受け点滴で様子を見ながら、血液検査やレントゲンでの診断を経て
  急性胃腸炎と診断されて、夕方には歩くことも出来るぐらいに回復したので入院せず帰宅。

◆2014年12月
  風邪気味もあってか腸の調子も可笑しく、近くの個人病院を受診。
  此処でも急性胃腸炎と判断され、様子見で薬を処方されたが
  3週間も様子見だったので行くのをやめた。  

◆2015年2月
  ホールでライブを見ていると急に腹痛に襲われ、トイレに駆け込み暫く座っていたが
  トイレから出た時に貧血状態で足元がふら付き前滑に道に倒れ、鼻の下を切り
  右指3本にも擦過傷をおったが、暫く座っていたら気分も回復したので帰宅。
  その後、自宅の階段の昇り降りにも息が上がる様になった。

◆2015年5月21日
  11時頃、2014年9月29日に起こった同じ症状だったが、我慢出来る範囲だったので
  午後からの受診時間を見極めて、K病院を受診。
  血液検査、レントゲン検査、何故?か胃カメラの検査の後
  胃は異常無い(当たり前)がヘモグロビンの値が通常の半分以下6.2しか無く、即入院となった。

◆2015年5月25日
  入院後は絶食(水、ジュース類の飲み物はOK)で24時間点滴だけで栄養分を取り
  この日、浣腸され腸カメラの検査を受けた。
  カメラ検査は、16時頃だと聞いていたが、空いたからとお昼頃に行われた。
  肛門から近くだけを見ると言うことで麻酔は無し。
  肛門から入ったカメラの片方のシャワーが出ず、非常に痛い思いをしながら検査を受けた。

  結果、カメラがそれ以上通らないくらいの大きな腫瘍が見つかり
  良性か悪性かの診断は1週間ぐらい必要だが、間違いなく悪性で直ぐ手術する必要があると言われ
  此処では、手術出来ないから病院は何処にしますかと聞かれたので医大か日赤と答えたが
  医大や日赤は順番待ちで直ぐ手術出来ないので、S病院を紹介され
  今から直ぐ行って受診出来ますか?と言われたが、無理です!!(苦しんでフラフラなのに(怒))と断った。

◆2015年5月26日
  即切除しないと行けないと言われ、渋々紹介状を持って
  S病院を受診。
  病名は『S状結腸がん』で即入院となった。

◆2015年5月27日
  腸カメラが入らないから大きさが分からず造影剤を使用してのCT検査を受けた。
  この時、造影剤の注射が中々上手くいかずに痛い思いをした。
  ゴメンゴメン皮下出血してるが1週間程で消えるからって、ゴメンで済んだら警察はいらんのじゃ!!
  後で聞いた話だが、この注射した先生は偉い先生らしい。。。

◆2015年5月28日
  摘出手術を受けた。
  貧血状態だったので輸血を受けながらの手術だ。
  背中からの全身麻酔・硬膜外麻酔だったが、気管確保用の管が入った状態で覚醒。
  目が覚めた時は呼吸困難に陥り、管を抜かれた後、小さな穴が開いた様に空気を吸い込んだが
  凄いお腹の痛みで、声にはならなかったけど、口を動かして痛い痛いと言っていた。

  痛み止めをギリギリの量まで注入されたが、痛みは少し和らいだだけで取れず唾液が多量に溢れてきた。
  観察室に運ばれ1夜を過ごしたが、息が苦しくなるぐらいに唾液が溢れてきて眠れず。
  看護師さんに拭って貰ったりしたが、担当が変わると吸引器で吸引したりして管を奥に入れられ
  ゲホゲホ状態になる。

  手術前に麻酔に関する説明も受けていたが、そこには
  麻酔から覚めて意識が戻って来て、自身の力で十分に呼吸できるようになったら
  気管確保用のチューブを取り除きますので担当医の呼びかけに従ってください
  (呼びかけに応じることができても、気管に挿入されていたチューブを抜く前後のことは多くの方は覚えてない)
  って書かれていたが、覚えてるんじゃい!!しかも激痛やったんじゃ!この人、天涯孤独って言ったんは誰じゃ!
  その後、絶食。
  高カロリーの点滴生活になるのだが、何故か首に点滴の針を刺され首から注入されている。
  そう言う話は聞いておらず、2015年7月5日現在未だに首の点滴痕は消えていない。
  ステージに立つ人間としては、最悪だ!!

◆2015年6月2日
  食事開始。
  重湯から食事が開始された。

◆2015年6月5日
  半分抜糸。

◆2015年6月6日
  食事も5分粥になり、点滴終了。
  がんの進行は、リンパ及び転移無しのステージUAと聞いて一安心。

◆2015年6月8日
  食事は全粥。
  すべて抜糸完了。
  血液検査の結果、朝晩と鉄剤1錠ずつ処方される。
  おかずに、松風焼と言う名のわけの分からないものが出てきた。
  木綿豆腐の様な硬さで、見た目は豆腐だが味が良くわからない。
  点滴も取れて、栄養もつけなければと思い、3分の2程食べたが気持ち悪い後味。

◆2015年6月9日
  退院も11日に決まっていて、初めての外出日。
  朝方、腹痛で緑色の液体を2度嘔吐。
  その後、管を入れられる処置の処置台でも嘔吐。
  レントゲン、エコー、CTを撮って腸閉塞と診断され、見知らぬ女医さんから鼻から管を入れられ吸引。

  この時の検査は、患者にとっては非常に過酷なものだった。
  嗚咽も未だある中、5階の部屋から車椅子に乗せられて地下のレントゲン室へ。
  レントゲンを撮り終えると5階の部屋へ戻り、また呼ばれたからと今度は1階でのエコー検査。
  その検査を終えて5階の部屋へ戻ったかと思うと、また降りてCT検査。
  どれだけ、患者に負担をかければ気が済むのだろうかと怒り爆発!!

  鼻から管を入れられる時も、鼻の麻酔だけで胃を通る時の痛さが何回も起き
  口の中が唾液で溢れて呼吸困難になった。
  結局、弛んでるとか言いながら入れたい場所まで届かず、ギリギリの線まで入ったので
  後は、腸が動いて入って行くだろうとの判断で終了。
  いくら医療や医療機器が発達しても、それを取り扱う技術が無ければ患者の負担は増えるばかりだ!!(怒)

◆2015年6月10日
  管から1日4リットルぐらいの胆汁が吸い出されるが、食べていた為ドロドロと吸引管を通り
  詰まる可能性が有るからと言われたが看護師は何度も見に来れず、自分で管理して2夜眠れなかった。

◆2015年6月11日
  歌い手にとって、この管は辛く、喋れないし唾液が溢れるばかりで呼吸もし難いし
  慣れる様にして貰わないとと看護師は言うけれど、1週間も入れられると
  今後歌えなくなる様な気がして怖く、常に喉に指を突っ込まれているようで嗚咽もでる為に
  管を外してと切望したが、造影剤を入れてレントゲンを見てから判断と言うことでレントゲン室へ。

  結果、あまり芳しくは無かったが、部長先生から運動すれば何とかなるかも知れないと言うことで
  運動ぐらいナンボでもするわい!と思って管を外して貰うことにした。
  午後からも一度レントゲンを撮ると腸まで届いていて、管から開放されることに感謝し一安心。

◆2015年6月12日
  1日水500ml程度ならOKが出た。

◆2015年6月13日
  お昼から重湯開始。

◆2015年6月15日
  レントゲンを撮ったがあまり芳しく無い。

◆2015年6月16日
  点滴の量を減らす為、エレンタールを朝晩300ml、合計600ml飲み始める。

◆2015年6月17日
  点滴を外れる時間が2時間程出来たので外出。

◆2015年6月18日
  レントゲン検査の結果良好。

◆2015年6月19日
  昼に重湯から交じりに変わる。

◆2015年6月21日
  2度目の外出。

◆2015年6月22日
  レントゲン検査の結果良好。

◆2015年6月23日
  三分粥になり、エレンタールのお陰で点滴から開放され午後から外出。

◆2015年6月25日
  レントゲン検査結果良好。

◆2015年6月26日
  五分粥になる。

◆2015年6月27日
  退院。

◆2015年7月1日
  20時過ぎに腹痛となり、また腸閉塞かと思い23時頃にS病院の救急へ電話して受診。
  点滴を受けながら、レントゲンを撮った結果、腸閉塞では無く便が溜まっているからと判断され
  浣腸液を入れたが出ず、座薬を入れて便が出たところで帰された。

◆2015年7月4日現在
  未だに便通が悪く、処方されたセンナリドを1日おきに夜寝る前に2錠飲むと次の朝には便通がある。
  しかし、便が出ても未だ大分残っているような気がする。
  トイレでしゃがむと、ガスは良く出るのだが、便は中々出てこない。
  あまり長時間しゃがみ込むと肛門も痛くなる。
  鉄剤も6月末まで朝晩1錠ずつ合計1日2錠飲んでいたが、今は飲んでいない。
  鉄剤を飲んでいた時には、便は深緑色だったのも今は茶色に戻ったし
  7月1日に救急で受診した時の血液検査では、ヘモグロビンの値も11.8になっていたので一安心だ。

☆7月4日までの総括
  S病院には、K病院の医師の言わば脅しとも取れる発言によって転院させられた。
  和歌山市内での医療の評判は、医大と日赤が二分する。
  僕も手術はどの病院が良いですかとK病院で聞かれた時、医大か日赤と答えたけれど
  医大か日赤だと直ぐ手術してくれずに待たされると脅しにも似た言葉でS病院で手術を受ける事となった。
  手術自体には、人工肛門も覚悟していたので手術して下さった先生には感謝しているが
  麻酔担当には駄目出しを送る。

  また、看護体制や検査体制や栄養管理には問題があると思う。
  医師の先生方の評判は、色んな患者さんに聞いても良い評判だが
  看護に関しては、研修されている所や深夜にナースコールを押しても中々来てくれなかったり
  点滴の機械が何処かでピーピー30分程鳴っていたり、看護師からヒステリー的に怒られたり
  全体的に荒っぽい看護が目立つ。

  検査体制に関しては、2度や3度の検査が有る場合、地下や1階まで何度も上り下りを繰り返し
  患者の負担だけでは無く、看護師の負担も有り、看護が手薄になると思う。

  最後に栄養士にしてみれば、個人個人における栄養管理はマンパワーが足りないから無理と言った。
  僕が、あのタイミングで腸閉塞になったのは食べ物にあると僕自身は思っている。
  それまで食べてきた物は、病院食だけなのだ。
  栄養士は、先生の指導で献立を出していると言って、これは法律で決まっている事だと言ったが
  担当医は、重湯や交じり、3分粥等指示しても、それに付随する食物までは管理していない。
  それは栄養士の領分だが、個人個人に対するケアが出来ない病院体制においては不安である。
  幾ら手術に関しての名医が居ようが、後のケアで潰されては良い病院だとは言えないと思う。

  入院して初めて気づく事も多いけれど、僕たちはモルモットじゃ無い!!
  採血一つとって見ても、何回か採血する内に上手くなっていく看護師を喜んでいる程、人は出来ていない。
  鼻から管を入れるのも、短時間で到達出来る医師にお願いしたいのは患者として当たり前。
  手術も麻酔から目覚めて覚えているのは、管を抜かれた後の観察室であって欲しいのは当たり前。
  以上の理由から経過観測にしろ5年間もS病院でお世話になるのは御免です。

◆2015年7月7日
  S病院退院後、初の外来。
  血液検査及びレントゲン検査後、担当医の問診となる。
  再度医大への紹介状をお願いした。

◆2015年7月17日
  希望通り医大での受診が叶い、血液検査・胸部、腹部レントゲン・造影剤によるCT検査を受けた。

◆2015年9月15日
  退院後初の腸カメラ検査を受けたところポリープが見つかる。

◆2015年10月13日
  ポリープ細胞を検査に出した所、良性だが将来がんになるかも知れないと言われ切除を希望した。

◆2015年12月8日
  内視鏡によるポリープ切除を受け1泊入院。
  入院後、ポリープ切除との連絡を頂いていたが、病室との連絡が取れていなくて、
  外来待合で2時間待たされ、入院に必要な荷物を抱えたまま切除となる。
  その後、病室に車椅子で運ばれ、ベットで安静にしていると、
  切除した医師が病棟へやってきて、胃のポリープ切除患者と間違われた。
  夜に食事も出たが、一般食だったので食べずに朝食を一般食からお粥に変更してもらい翌日退院。

◆2015年12月22日
  切除したポリープを検査に出した結果、がんだったことが判明したがステージ0で早期発見となった。

◆2016年6月23日
  医大からH病院へ回され手術1年後の経過検診で当日に造影CT・胃カメラ、次の日に腸カメラ検査を受け2泊3日の入院。
  ボーとなる薬を投入しての検査だったので、今までで一番楽にカメラ検査を受けることが出来た。
  腸に一つポリープがあり切除したが、後日のポリープ顕微鏡検査では癌では無かった。
  夜、病棟で、今までは造影剤の副作用は無かったが、初めて造影剤の副作用の蕁麻疹が出た。
  そして、翌日には蕁麻疹も無くなったので無事退院となった。

◆2017年5月11日
  H病院で手術後2年の経過検診で当日に血液検査・CT・胃カメラ、次の日に腸カメラ検査を受け2泊3日の入院。
  昨年、造影剤で蕁麻疹が出たので、今回のCTは造影剤抜きでの検査。
  胃カメラ・腸カメラとも前回と同じく鎮静剤を使っての検査だったが、胃カメラは前回よりも辛かった。
  次の日に腸カメラ検査を受けるのに点滴を施されたのだが、病棟で看護師に失敗され、別の看護師を呼ばれて無事刺さった。
  腸に前回と同じ様にポリープが一つ見つかり切除した。
  退院後、自宅に戻って夜にお風呂場で失敗された点滴の後が広範囲に内出血している事が判明。
  後日、病院にて看護師に診て貰ったが、暫くすれば青あざも無くなって行くので問題無いとの事。

◆2017年5月31日
  青あざも殆ど無くなったので検査結果を聞きにH病院へ。
  副院長が外来休みと言うことで、別の医師O先生に検査結果を聞く。
  肝臓に影があり、精密検査が必要との事。
  しかし、血液検査には異常が見当たらず、前回に造影CTに出ていた箇所と同じで血豆みたいなものと言う見解で
  経過を見守る事となった。

☆2017年6月
  お腹の左側の手術時の縫い傷よりも左側で時々痛むし、手術とは関係の無いおへその右下も時々痛む。
  左下に関しては、手術後の後遺症?かも知れないとの事。
  右下に関しては、がん手術の数年前からも時々痛みがあり、エコー検査も受けた事があるが分からず。
  これは素人判断ではあるが、多分慢性虫垂炎ではないかと思われるが
  憩室がお腹の右側に沢山有るらしく、憩室炎かも知れないという事であった。

◆2018年5月17日
  H病院で手術後3年の経過検診で当日に血液検査・CT・胃カメラ、次の日に腸カメラ検査を受け2泊3日の入院。
  一昨年、造影剤で蕁麻疹が出たので、今回のCTは造影剤抜きでの検査。
  初日にCTと胃カメラ検査をし、次の日に腸カメラ検査を行った。
  昨年、腸カメラ検査を受けるのに点滴を施されたのだが、
  病棟で看護師に失敗され、内出血で青あざが1週間ほどとれなかったので、ベテラン看護師に行ってもらった。
  結果、胃にも腸にもポリープが無いとの事で無事退院。

◆2018年5月31日
  検査結果を聞きにH病院へ。
  副院長に検査結果を聞きに行くが、呼ばれて診察室に入ると、カルテを見るのにバタバタしていて、
  腸にポリープがあったが切除したと告げられた。
  当日何も言ってなかった事を告げると、御免、御免、胃だったとの事。
  胃にポリープがあった事も当日聞いていなかったし、後日保険請求の為にとった入院証明書にも
  何も書かれていなかったのに不思議。。。
  今回は左の骨盤の上辺りが時々ピクピクズキズキ痛む事と、おへその右下辺りも違和感がある事を述べたが
  そこには臓器は腸しか無く、憩室が右も左も多いので憩室の炎症ではないかとの事で、痛くなったら来なさいとの事。
  また、今回は肝臓はどうでしたか?と尋ねると、肝臓に関しては何も言ってなかったとの事。

◆2019年5月16日
毎年受けている経過観察での検査入院を5月23日に控え、下腹が痛くなったのでH病院を受診する。
CT及び血液検査をした結果、大腸憩室炎と診断され、検査入院が延期となり、点滴を受けた。
2時間ほどかけての点滴は、3日間に分けて施さなければならなかたが、下痢を起こし2日目で終了となる。
抗生剤の点滴で下痢の症状が出た為、点滴を中止して整腸剤で様子を見る事となったのだ。

◆2019年7月18日
憩室炎の痛みも薄まり、下痢症状も無くなったのでH病院で、手術後4年の経過検診を受ける。
当日に血液検査・CT・胃カメラ、次の日に腸カメラ検査を受け2泊3日の入院。
過去に造影剤で蕁麻疹が出たので、今回のCTも造影剤抜きでの検査。
初日にCTと胃カメラ検査をし、次の日に腸カメラ検査を行った。

今回、予約していたのにも関わらず、担当の院長先生は学会出席の為、不在との事。
一言連絡して頂ければ、緊急入院では無いのだから、別の日に変更しても良かったのにと思った。
初日の胃カメラは、いつもの様に麻酔を少し施し行われたが、いつもは画像を見る余裕もあったのだが、
今回は眠ってしまって、起こされた時には既に終了していた。
結果、ポリープがあり、検査に回されたが、二日目に受けた大腸カメラの方はポリープも無かったとの事だった。

◆2019年8月2日
検査結果を聞きにH病院へ。
胃にあったポリープは良性だったとの事。
血液検査結果は、問題ありません。
腸には憩室は有りますとの事。

???・・・憩室は何年も前から言われてる事で、検査入院が延びたのも憩室炎の為だったはず。
「憩室炎が、また悪化したら、点滴治療しか無いのでしょうか。」と尋ねると、
「手術する方法もありますが、通常は点滴治療ですね。」と言われたので、
「抗生剤の点滴で下痢になったのですが・・・。」と言うと、
「そんな方もいますね。」・・・って。・・・???
じゃぁ、どうすれば、良いんだろうと疑問符・・・?。

疑問に思ったけれど、質問しないでいると、
「次は3ヶ月後に、血液検査に来てください。」と言われたので、
「毎年、血液検査は検査入院後の半年後ですけど・・・」
「3ヶ月前の血液検査は、憩室炎で下腹が痛くなって受診した時にされたもので・・・」と言ったら
「そうですか、では、半年後の予約は出来ないので適当に来てください。」との事。

その時、検査入院日の学会出席といい、カルテをパラパラめくっての簡単対応といい、
どうもデータだけを診て人を診ていない、僕自身を診ていないのだと感じた。
これは、全般的に最近の医者に言える事だと思う。

後1年で手術から5年を迎えます。
それで問題無ければ、毎年送られてくる健康診断無料検診カードで、色んな病院を渡り歩こうと思います。
そこで、データだけでは無く、僕自身を診てくれる医師と出会えれば幸いです。


  *病名 S状結腸がん(ステージUA)→術後11日目、腸閉塞
        2015年7月現在、使用中の薬 センナリド、エレンタール
       2019年8月現在、使用中の薬 無し

  *備考 手術中の麻酔の量に注意!!
       術後、及びイレウスチューフ挿入時や排出時には唾液が多量に出る為、ティッシュ必須!!
       また肌が弱い為、テープ負けして赤く形が残りカユミも増します。

       最後に、今後の人生は音楽で成り立っています。
       長生きしてまで音楽が出来なくなる人生は望みません。
       僕はミュージシャンでステージに立つ為に、首に傷を残す様な点滴はやめて下さい。
       そして、喉を虐める様な管を通されることは望みません。
       また、今後再発及び転移してがんの進行ステージが上がっても化学療法は望みません。

       死自体も恐れてはいませんので、延命治療は望みません。
       出来れば、管もなく目を閉じて痛みを伴わずにその後、目を覚まさずに死にたいと思います。
       終末期の鎮静治療を望みます。

記載日 2019年8月 アーティスト名 LeLeO(レレオ)

 

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